高野山の出発点。観光地「丹生官省符神社」は九度山の守り神!

詳細マップ
丹生官省符神社

高野山参りの玄関口である慈尊院は女人高野として多くの女性観光客が訪れています。

慈尊院の建立した際に建てられたのが「丹生官省符神社」です。丹生官省符神社は高野山まで続く「町石道」という20キロの道のりの出発点であり、道中の安全を祈願する神社です。

それにしてもなぜ慈尊院と同じ時期に丹生官省符神社は建立されたのか?

それは慈尊院やこの地域の守り神として建てられたのです。

丹生官省符神社の始まり

丹生官省符神社

弘法大師は真言密教修法道場の根本地を求めて各地を行脚していました。
「ふさわしい場所がなかなか見つからない」とさまよっていると、白黒二匹の犬をつれた狩人に出会い、狩人は高野山が相応しい場所だとして白黒二匹の犬が弘法大師を高野山まで案内しました。

そして高野山が神聖な霊地であると知った弘法大師は、この土地の主である丹生明神から土地を譲ってもらい、高野山を開山できたのです。

この時、弘法大師の前に案内をした狩人は丹生明神の御子の高野御子大神で、姿を変えて狩人になったことから「狩場明神」と呼ばれています。

丹生官省符神社

丹生官省符神社の境内では、弘法大師と狩場明神の出会いのシーンが描かれています!

丹生官省符神社

弘法大師は、案内をしてくれた狩場明神や土地を譲ってくれた丹生明神の恩を忘れずに、政所として慈尊院を開いた時に参道中央正面上壇に丹生高野明神社を諸天善神への祈願地として創建しました。この丹生高野明神社が後の丹生官省符神社です。丹生官省符神社では丹生都比売大神(丹生明神)と高野御子大神(狩場明神)が祀られました。

もともと丹生官省符神社は紀ノ川沿いにありましたが、紀ノ川は度々氾濫したため、慈尊院が現在地に移転してきた際に同時に移り、この時に大食都比売神(気比明神)と市杵島比売神(厳島明神)を勧請したそうです。さらに天照大御神、誉田別大神、天児屋根大神を合祀して七社明神と呼ばれました。

丹生官省符神社

1541年に再建された本殿の内、三棟が残っており、木造一間社春日造、桧皮葺、極彩色北面で室町時代の神社建築の様式を伝える遺産であることから、重要文化財に指定され、世界遺産にも登録されています。

丹生官省符神社の名の由来

慈尊院の守り神として建てられた丹生官省符神社。その名前の由来は「高野山の官省符荘の総鎮守」であったからです。

現在でも土地代というものがかかりますよね。それは昔も同じで、田んぼからとれた稲を税金として朝廷に支払っていました。官省符荘とは租税を免除された田んぼのことで、丹生官省符神社は高野山の官省符荘の総鎮守であったそうです。

 

丹生官省符神社からは約20キロの道のりが続く町石道の出発点に位置しています。そのため、この神社は高野山の参拝者の道中の安全を祈願する神社としてもご利益があるとして知られています。

ぜひ高野山観光の際は旅の出発点の「丹生官省符神社」で祈願してみてください!

駐車場 無料有