全国の総本山!和歌山「丹生都比売神社」は高野山の入口

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丹生都比売神社

2015年に開創1200周年を迎えた高野山。真言密教を広めるための根本道場として、空海は高野山を選びました。

空海が高野山開創の際に手助けしたのが、今回の主役「丹生都比売大神」です。丹生都比売大神は丹生都比売神社でお祀りされ、高野山への入り口にあたることから、かつては高野山に登る前に参拝されていた神社でした。

丹生都比売神社の由緒

丹生都比売神社

丹生都比売神を祀る神社は全国に約180社あり、丹生都比売神社は丹生都比売神を祀る神社の総本社です。丹生都比売神社が創建されたのは1700年以上前と伝えられていますが、正確な詳細は不明です。

そこで、神社の由緒について伝えられている説を少しご紹介しましょう。

稚日女命の降臨

『丹生大明神祝詞』逸文では、丹生都比売大神は天照大御神の妹神 「稚日女命」 と同一神としています。

稚日女命はとてもかわいそうな神様です。機織り小屋で働いていた時に、スサノオが高天原で調子に乗って暴れまわり、皮を剥いだ馬を機織り小屋に投げ込み、ワカヒルメは驚いて拍子に女性器を傷つけて死んでしまうからです。

『丹生大明神祝詞』によると稚日女命は紀ノ川流域に降臨し、紀州・大和を巡られ農耕を広めたあと、天野の地に鎮座したとされています。

神功皇后の手助け

『播磨国風土記』逸文では、応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進したそうです。

応神天皇の母親・神功皇后は神の託宣により、朝鮮半島を平定するように告げられます。神功皇后は出兵の際に、丹生都比売大神の託宣で衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝して朝鮮半島の広い地域を服属下におくことが出来ました。これに感謝した息子の応神天皇が丹生都比売大神に社殿と広大な土地を神領として寄進したのです。

このようにみると、まず稚日女命が天野の地に鎮座し、その後、神功皇后を助けたことにより応神天皇から社殿と広大な土地を神領としてプレゼントされたことが丹生都比売神社の創建と考えられますが、真相は不明です。

美しい境内の様子

丹生都比売神社

丹生都比売神社に入るとまず目につくのが朱色に輝く「輪橋」です。

豊臣秀吉の妻・淀君が寄進したことから「太鼓橋」とも呼ばれます。平安、鎌倉時代ではこの橋の上で神事が行われていたそう。

丹生都比売神社

太鼓橋はとても大きく、登ったところから見る景色は美しいです!

丹生都比売神社

楼門は重要文化財に指定されています。

丹生都比売神社

とにかく大きくて美しい!って印象がありますね~

丹生都比売神社

楼門の後ろには本殿が隠れています。現在の本殿は、室町時代に復興され、重要文化財に指定されており、丹生都比売神社は 世界遺産 に登録されています。丹生都比売神社の祭神は

・第一殿:丹生都比売大神(丹生明神)

・第二殿:高野御子大神 (狩場明神)

・第三殿:大食津比売大神 (気比明神)氣比神宮からの勧請

・第四殿:市杵島比売大神 (厳島明神)厳島神社からの勧請

の4神で「四所明神」とも総称されています。右手から第一殿・第二殿の順で一列に並んでいます。

高野山開創の際の逸話

丹生都比売神社は高野山への入り口にあたることから、かつては高野山に登る前に参拝されていた神社です!実は高野山は丹生都比売神社の神領を借り受けて作られたのもなのです!

今から1200年前、空海は真言密教を広めための根本道場としてふさわしい場所を探し求めていました。
そんな時に丹生都比売大神の御子の高野御子大神は、白黒二匹の犬をつれた狩人に化身して空海の前に現れ、高野山が相応しい場所だとして白黒二匹の犬に案内をさせます。

そして空海は途中にこの土地の主の丹生明神に出会って「この土地をあなたに永久に献上します」と土地を譲ってもらい、高野山を建てることが出来たのです。そのため、空海は高野山の造営にあたって、「丹生明神」と「狩場明神」を山上に勧請し、壇上伽藍に鎮座しています。

もし丹生明神が土地を分け与えていなかったら、現在の高野山の姿は別のものになっていたかもしれません。

駐車場 無料あり

丹生都比売神社の謎とは

皆さんは不老不死に興味がありますか?

永久に生き続けられるとしてドラマやアニメなどでよくあるテーマとして関心のある方も多いでしょう。そんな不老不死を求めた人物で有名なのが、中国を初めて統一した始皇帝です。始皇帝は死を恐れ、不老不死を求め、あるものを服用しました。

それは水銀です。

現在では水銀は猛毒として認識されていますが、古代においては不死の薬として珍重されていたそうです。水銀は仏像の鋳造や金や銀の採掘や精錬する際につかわれる大変な貴重品で、その水銀の原料は辰砂(別名に丹砂、朱砂)という鉱物です。

辰砂は水銀だけではなく、朱色も産出します。なぜ水銀が不死の薬として珍重されていた理由とは、朱色は死者が蘇る色として神聖視されたからです。朱色は死体に対して腐敗の抑制効果や歳月によって変色や消滅しないために、よみがえりの色として認識されていました。また神社の本殿や鳥居で朱色が使われているのは、木材の防腐剤のほかに魔除けの力があると信じられていたからです。朱色は不死の色として重宝されたのです。

朱色と水銀を産出する辰砂は古来の日本で「丹(に)」と呼ばれ、「丹」の付く地名は辰砂を採取する場所・鉱山を指し、「丹」の生産やその産地は「丹生」と呼ばれました。丹後や丹波なども水銀の産出地として名が入っています。

丹生都比売大神は、丹生一族が祀る女神とされ、丹生都比売神社は辰砂の総本社ともいえるでしょう。丹生都比売神社はもしかしたら不老不死に関係のある神社かもしれませんね。

そこで問題なのはなぜ空海は高野山に真言密教を広めための根本道場を開いたのか。空海は中国の唐に渡った際に、水銀鉱脈の発見方法を学んだとされています。もしかすると辰砂があったためにこの地に根本道場を開いたのかもしれません!