紀の川市「粉河寺」は和歌山観光に欠かせない名刹

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和歌山県紀の川市には、近畿のなかでも非常に有名な名刹「粉河寺(こかわでら)」という観光スポットがあります!

粉河寺は西国三十三所第三番札所のひとつで、規模が大きく35,000坪も及ぶ広大な境内地が広がり、さらに本堂は西国三十三所巡礼の寺の中で最大の大きさを誇ります!

約1250年の歴史が続く粉河寺の始まりは童子(童男行者)が関係しています!粉河寺創建の際にどんなエピソードがあったのでしょうか!?

今回は紀の川市の観光スポット「粉河寺」についてご紹介いたします!

粉河寺の創始は童男行者が始まり

粉河

粉河寺の顔といえる大門は真っ赤に染まった大きな建造物で、重要文化財にも指定されています。

大門をくぐると広大な敷地が広がり、本堂まで石畳の参道を歩いていきます。

粉河

参道の途中には様々な諸堂が並んでいます。そのひとつの童男堂では童男行者が祀られています。この童男行者こそが粉河寺の始まりです。

粉河寺縁起絵巻には宝亀元年(770)に大伴孔子古によって開創されたと伝わっています。

ある晩、猟師である大伴孔子古という人物が山中で霊光を発する場所を見ました。大伴孔子古は「堂を建て、仏の像を造って、末代まで伝えよう」とそこに草庵を建てたのが寺の始まりです。

後日、一人の童(童男行者)が孔子古の家を訪ね、一晩泊まらしてほしいとお願いをしました。翌日、童は宿のお礼に孔子古のために仏の像を造り、草庵に7日間籠りました。

七日目になって庵を開けると、あの童の姿はなく等身の千手観音の像が立っていたそうで、孔子古は「あの童はこそ観世音の化身」と考え、以後、殺生をやめ千手観音像を祀って供養礼拝したといわれ、これが粉河寺の創始と伝えられています。

その千手観音の化身の童男行者を祀っているのが童男堂なのです。

粉河という名前の由来

さらに粉河寺縁起絵巻では話の続きがあります。

あるとき河内国の長者佐太が体に膿みができる重い病にかかっていた一人娘の看病をしていました。様々な方法を施しても病気は一向に治らず、3年の月日が経っていました。

そんな時に一人の童(童男行者)が家を訪ね、姫のために千手陀羅尼を唱えました。7日間経つと娘の病は回復し、長者佐太は感激して童男行者にお礼の品を渡します。童男行者はお礼の品を受け取らず、感激した娘が捧げる紅の袴と提鞘のみを形見として受け取りました。娘が居場所を尋ねると「紀伊の国、那賀の郡の粉河というところにおります」と言い残し去ったそうです。

翌年春、長者佐太一家は粉河を訪れましたが、一向にその場所はわかりませんでした。小川に目を向けると、米のとぎ汁のように白いのに気がつき、その川に沿って上っていくと草庵がありました。

扉を開けると千手観音が安置され、観音の手には娘が差し出した紅の袴と提鞘がありました。

長者佐太は童男行者が実は千手観音の化身であったのだと悟り、その場で出家して、孔子古とともに粉河寺の繁栄に尽くしたそうです。

粉河寺

大門から本堂までの参道の右手には長屋川が流れてます。この長屋川が長者佐太一家が粉河を尋ねた時に見つけた川です。

「粉河」という地名はこの長屋川の水が米の粉を溶かしたように白く濁っていたことが由来なんだそうです。もしこの川が白くなかったら違った名前だったかもしれませんね!

粉河寺のみどころ

粉河寺

参道を歩いていくと立派な中門が建てられています。重要文化財の中門をくぐると国指定の名勝「粉河寺庭園」が現します!

粉河寺

本堂の前に高低差を利用して作られた石組みの庭園が造られています!桃山時代の豪華な作風で、このような構成の日本庭園は珍しいらしいです。

粉河寺

枯山水観賞式蓬莱庭園といわれ、巨大な岩石とツツジが美しく組み合わさっています。

粉河寺

西国三十三所の寺院の中で最大の本堂は1720年に再建されたものです。ここに童男行者に化身した千手観音が安置されているのですね~

粉河寺の境内は広大で、すべて周るとなると1時間はかかります!それだけたくさんの見どころがあるので、ぜひじっくり楽しんでみてください!

入場料 なし
駐車場 有料あり

粉河産土神社

粉河産土神社

粉河寺の境内には面白い光景がご覧になれます。それは粉河産土神社という神社がお寺の境内にある光景です!

粉河産土神社

粉河産土神社は783年に創建された古い神社で粉河寺を開創した大伴孔子古の子である住職が、地元で有名な神様の丹生都比売命を勧請したのが始まりと云われています。

粉河寺や粉河村の鎮守の神として勧請したそうです。粉河寺は日本の神道とインドの仏教が交わる神仏習合のお寺というわけなのです。