楠木正成の生誕地で見られる絶景!千早赤阪村「下赤阪の棚田」

詳細アクセス知っとこ!

千早赤阪村でみられる自然の絶景「下赤阪の棚田」とは?

下赤阪の棚田

皆さんここがどこだかわかりますか?実は大阪の唯一の村「千早赤阪村」にこの絶景の光景が広がっているのです!その名を 「下赤阪の棚田」 

大阪の千早赤阪村は鎌倉幕府からは「悪党」と呼ばれた南北朝時代の武将楠木正成の生誕地として知られています。
楠木正成が築城したとされる下赤阪城跡からは、1999年7月26日に日本の棚田100選に選定された「下赤阪の棚田」を眺められます!

千早赤阪村の下赤阪の棚田は大阪の人でもあまり訪れない 穴場観光スポット 
静かな風景を楽しめます!

下赤阪の棚田 棚田とは、「段々畑」ともいい、山の斜面や谷間の傾斜地に稲作のためにつくられた、棚のような水田のこと。

秋には金色の稲穂が波打つように輝く棚田、冬には雪化粧をした棚田が見られ、四季折々にのどかな景色の姿を「下赤阪の棚田」は見せてくれます。

下赤阪の棚田

11月にはライトアップが行われ、ろうそくの燈で浮かび上がる幻想的な世界が出現します。気になる方はぜひ大阪千早赤阪村の「下赤阪の棚田」の光景を肌で体感してみてください!

駐車場 あり

「下赤阪の棚田」がある千早赤阪村で生まれた楠木正成とは?

大阪の千早赤阪村で生まれたと伝えられている楠木正成は足利高氏と新田義貞ともに後醍醐天皇に仕え鎌倉幕府を倒し、 建武の新政 を行った功労者の一人です。

建武の新政とはいったい何でしょうか?

この時代は武士主体の鎌倉時代で、武士に恩恵が全然なく、人々も困窮。そこで立ち上がったのは後醍醐天皇!平安時代の天皇中心の政治に戻すために楠木正成や足利高氏の武将とともに鎌倉幕府を倒しました。

そして、後醍醐天皇が始めた政治を 「建武の新政」 というのです。

しかし、建武の新政はわずか二年半しか続かず失敗。

理由は後醍醐天皇は天皇中心の政治に戻し、武士に権力を与えなかったからです。

鎌倉幕府を一緒に倒した武士たちは怒って、新たなるリーダーを求め、浮上したのが、 足利尊氏です。 

後醍醐天皇は楠木正成に力を持ち始めた足利尊氏を討てと命令します。しかし、楠木正成は兵庫の湊川の戦いで討ち死にしてしまいました。

楠木正成は足利尊氏と違って後醍醐天皇に最後まで忠誠を誓った武将なので、 歴史上で天皇に忠誠をつくした正義の武将 とされています。