「信貴山奥之院」は毘沙門天王が顕現した最初の場所

詳細アクセス

毘沙門天王が顕現した最初の場所「信貴山奥之院」

信貴山奥之院

信貴山朝護孫子寺本堂より約1.5km北東にある信貴山奥之院。信貴山奥之院は毘沙門天王が顕現した最初の場所として有名です。

信貴山奥之院

当寺は山号を米尾山と称し、米尾山多聞院が寺院名ですが、信貴山朝護孫子寺の奥の院になっているので、信貴山奥の院と称されています。

信貴山奥之院の始まり

信貴山奥之院の始まりは聖徳太子が生きていた6世紀ごろです。

6世紀ごろは仏教が日本に伝わってきた頃で、仏教を受け入れるかどうかで崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏に分かれていました。いわゆる崇仏争論の勃発です。

幼少だった聖徳太子は崇仏派の蘇我氏側に味方し、排仏派の物部氏を倒すためにこの山に登って戦勝の祈願をすると、幼少の聖徳太子の前に毘沙門天王が顕現し、戦勝の秘法を授かったそうです。

そして、物部守屋大連を追討の際、毘沙門天王は阪部大臣に化身して聖徳太子の軍として戦い、みごと崇仏派が勝利しました。

毘沙門天王とは七福神の福の神様の一尊とされ、毘沙門の名は「全てのことを一切聞き漏らさない智慧者」の意味を持つことから多聞天とも称されます。

その後、自ら刻んだ毘沙門天王の像を勧請し、奥の院を建立したと言われています。この毘沙門天王が聖徳太子の前に顕現したのが寅の年、寅の日、寅の刻であったとことから信貴山朝護孫子寺は虎とのかかわりが深い寺院になったそうです。

このように虎とのかかわりが深い寺院なため、阪神タイガースの選手が毘沙門天王を祀る信貴山朝護孫子寺本堂に必勝祈願に訪れるそうです!

信貴山奥之院

本尊は、通称「汗かきの毘沙門天王」と呼ばれ、秘仏として護持されています。

崇仏派が勝利後、聖徳太子が毘沙門天王像を拝すると、汗をかいていたことからそう呼ばれるようになったそうです。

信貴山奥之院

境内奥の聖地では古代の米である「焼き米」が地中より湧出した不思議な場所で、この焼米を頂く者はどんな病もよくなるそう!

聖徳太子が守屋大連追討の際、兵士の兵糧として授かった米を、焼米としてこの場所に納めたものだそう。

奥の院の像

信貴山奥之院 さらに奥に進むと禅賦師童子・多聞天王・吉祥天女が現れます。とにかく大きいですね。 信貴山奥之院 さらに不動明王も現れます。

大寅

信貴山奥之院 信貴山朝護孫子寺にも黄色い大寅がありましたが、信貴山奥之院にも大寅が置かれています。しかも、真っ黒で格好いい!
駐車場 あり