三重県の桜の名所!さくらを映し出す「三多気の桜」

詳細マップ知っとこ!

三重県で最も美しい三多気の桜とは?

おそらく三重県の中で最も美しいさくらが津市にあります。 その名を「三多気の桜」。 4月の桜の開花の時期になるとその美しい三多気の桜を一目見ようと人々が訪れる観光スポットです!1500mも500本のヤマザクラの並木道が続いています。

さらに、水を引いた棚田が鏡のように青空と満開の桜を映し出す姿はここでしか見られない絶景です!三多気の桜は国の名勝に指定されおり、三重県では伊勢市の「宮川堤」とともに「さくら名所100選」にも指定されています。

昔は2000本あった三多気の桜

三多気の桜は現在から700年前に南北朝時代に活躍した北畠親房の三男である顕能が約2000本を植えたと伝えられています。 顕能はこの三重県の当時伊勢国を治めた国司でした。顕能は後に、 織田信長と相対する戦国の北畠氏の祖となります。 三多気の桜は室町時代から人々を魅了してきたんですね!

三多気の桜は夜になるとライトが 美しい桜を照らすライトアップ もされており、夜桜を楽しむことが出来ます。
毎年4月には二日間桜祭りが催され、多くの桜を楽しむ観光客が訪れています。

今年の桜は三重県の三多気の桜を味わってみてはいかがですか!

ライトアップ営業時間 18~21時
駐車場 有料あり

三多気の桜を植えた北畠顕能の父北畠親房とは?

北畠親房は歴史の教科書に出てくる人物で『神皇正統記』を書いたことで有名ですね。『神皇正統記』は吉野朝廷すなわち 南朝の正統性を述べ 、後村上天皇に献上された歴史書です。南朝の正統性とはどうゆうことでしょうか?

話は鎌倉幕府が倒れた時代にさかのぼります。この時代は武士主体の鎌倉時代でしたが武士に恩恵が全然なく、人々も困窮していきました。そこで立ち上がったのは後醍醐天皇!天皇中心の政治に戻すために足利高氏などの武将とともに鎌倉幕府を倒しました。

そして、後醍醐天皇がはじめた政治を「建武の新政」といいます。

この後醍醐天皇が信頼していたのが若くして政治の才能を発揮した北畠親房なのです!

しかし「建武の新政」はうまくいかず、味方だった足利尊氏が裏切り、後醍醐天皇と争うようになりました。争いに負けた後醍醐天皇は「三種の神器」を持って吉野(奈良県)に移り、皇居を定めました。この吉野に朝廷をおいたことを南朝と呼びます。一方、尊氏は京都で光明天皇を天皇として即位させたので北朝と呼びました。
これが 南北朝時代 の始まりです。

北畠親房はこの南朝が唯一正統な皇統として相応しいと書いたのが 『神皇正統記』 なのです!