京都「安井金比羅宮」は大魔王を祀る縁切り縁結び神社!

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京都にある「安井金比羅宮」は少し変わったご利益のある神社。

安井金比羅宮は男女の悪縁を断ち切り良縁結ぶご利益がある 『縁切り縁結び神社』 なのです!悪縁を断ち切るために全国各地から観光客が訪れています!

しかし、なぜ縁切り神社と呼ばれているのでしょうか?それは安井金比羅宮に祀られている祭神 「崇徳天皇」 が関係しているのです!

穴をくぐって悪い縁を切り、良縁を結ぶ「縁切り縁結び碑」

安井金比羅宮

安井金比羅宮は『縁切り縁結び神社』として有名です!

縁切り縁結び碑では願いを書いたお札を持って穴をくぐり、最後にお札貼ると悪縁を切って、良縁を呼ぶご利益があります!碑には様々な願い事と縁を切り事が張られています。

なぜ、『縁切り縁結び神社』と親しまれているかというと、後に日本三大怨霊と呼ばれるほど人々に恐れられる祭神の「崇徳天皇」が要因です!

崇徳天皇は家庭環境がかわいそうな人でした。父は鳥羽で母が待賢門でしたが、母の待賢門は祖父の白河上皇と不倫の関係になって誕生したのが崇徳であり、そのため鳥羽は父でありながら息子の崇徳が大嫌いでした。白河が亡くなるとすぐに鳥羽上皇は崇徳を天皇から降ろし、息子を近衛天皇として即位させますが、近衛は若くして亡くなります。

通常なら次は崇徳の長男が継ぐはずですが、鳥羽は崇徳の家系に継がせないとして後白河天皇を即位させます。このことが歴史的対戦のきっかけです。鳥羽がなくなると崇徳は後白河天皇にクーデターを起こします。それが 保元の乱 です。

結果は、先制攻撃を仕掛けた後白河天皇の勝利で崇徳上皇は讃岐に配流されます。皇位も剥奪された崇徳は反省を込めて写経したもの京都に送りますが、送り返されてしまいます。これに激怒した崇徳は舌を嚙み切って、その血で「日本国の大魔王となり、天皇家を没落させ、平民を王にする」と書き綴って、その地で亡くなったそうです。

そしてまもなく、後白河天皇の身内が相次いで死去し、武士が政権を握り、崇徳の呪いが実現されたとして、怨霊としておそれられたのです。怨霊を恐れた後白河天皇は崇徳を手厚く祀りはじめるのです。

流罪となった崇徳は讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って亡くなり、金刀比羅宮で祭神の大物主命とともに祀られました。

一切の欲を断ち切って亡くなったことから、安井金毘羅宮は全ての悪縁を切る祈願所として『縁切り縁結び神社』と信仰されているのです。

安井金比羅宮の起こりとは

安井金比羅宮 本堂

本堂

もともと安井金毘羅宮は藤原鎌足が藤原家の隆盛を祈るために一堂を創建し、藤を植えて藤寺と称したことが始まりとされています。その藤寺の藤を好んで、寵愛した阿波内侍を住まわせたのが崇徳天皇です。

崇徳上皇が保元の乱に敗れて讃岐に配流されると、悲しむ阿波内侍は出家して尼になり、崇徳上皇自筆の御尊影を藤寺の観音堂にお祀りします。

そして、1177年に大円法師が藤寺観音堂に参拝したとき、崇徳が姿を現わして往時のことを語ったため、それを聞いた後白河天皇が詔を発して光明院観勝寺として建立されたのが安井金比羅宮の起こりです。

その後、このお寺は荒廃しましたが、太秦安井にあった蓮華光院がこの場所に移建され、祭神として崇徳天皇と讃岐の安井金比羅宮からの大物主神が本堂でお祀りされるようになったことから「安井の金比羅さん」と親しまれるようになったそうです!

安井金比羅宮

安井金比羅宮には特に女性の方が多く訪れています!ぜひすべての悪い縁を断ち切って良縁のご利益をいただいてみてはいかがですか!

拝観料 無料
時間 境内自由
休日 なし