京都「天龍寺」は嵐山を代表する庭園が美しい観光スポット

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京都嵐山の観光スポット「天龍寺」

曹源池庭園

京都嵐山を代表する観光地で有名な「天龍寺」。桜や紅葉の名所であり、京都五山で第一位という寺院で、世界遺産として知られています。

特に見どころの天龍寺・曹源池庭園は世界的にも有名で人気スポットになっています。

天龍寺は足利尊氏が宿敵・後醍醐天皇のために創建した!

天龍寺は室町幕府を開いた足利尊氏によって創建されました。

足利尊氏は日本三大悪人と呼ばれています。そのわけは、後醍醐天皇を裏切って幕府を開いたからです。そんな裏切り者の尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建てたのが「天龍寺」です。

尊氏は後醍醐天皇とともに鎌倉幕府倒幕を目指していました。倒幕を成し遂げると後醍醐天皇は「建武の新政」を始めますが、天皇親政で武士になんの恩賞も施さなかったので、共に戦った武士達は次第に不満を募らせてゆきました。

不満を募らせた足利尊氏は立ち上がって後醍醐天皇に離反して戦い、結果、後醍醐天皇は吉野に敗走します。 尊氏は京都で別の天皇を擁立して、ついに朝廷が南北に分かれてしまいます。

天皇が二人もいる時代は南北朝時代と呼ばれ、足利尊氏は後醍醐天皇を裏切って室町幕府を開いたため日本三大悪人と呼ばれているのです。

後醍醐天皇は諦めずに倒幕の機会をうかがいますが、病に倒れて奈良・吉野で無念の最期を遂げました。 尊氏は裏切ったとはいえ、かつては忠誠を誓い共に戦った後醍醐天皇が気にかかり、臨済宗の高僧・夢窓疎石の「後醍醐天皇の菩提を弔う寺院を建てるべき」という強い勧めによって、天龍寺が創建されたのです!

天龍寺が位置する場所は後嵯峨天皇とその皇子である亀山天皇の離宮「亀山殿」があった跡地で、後醍醐天皇は幼少期から青年期まで亀山殿で過ごしたことからこの跡地に創建されました。

創建当初の様子を今に留める「曹源池庭園」

曹源池庭園

天龍寺でメインなのが曹源池庭園です。

この曹源池庭園を手掛けたのが禅の高僧である『夢窓疎石』です!

夢窓疎石がどれだけすごい人物かというと、天皇のみが僧侶に贈ることができる「国師(こくし)」という称号を与えられています。

「国師(こくし)」は『国王に仏法を説く師』という意味で、天皇から敬われた僧侶であり、夢窓疎石はこの「国師」という称号を一回だけではなく、生前と死後にわたって七回も歴代天皇から贈られたため「七朝帝師」とも称されています。後醍醐天皇や尊氏も夢窓疎石を重用し、政治にも深くかかわったそうです。

夢窓疎石は庭造り名手でもあり、数々の庭園を手掛け、天龍寺の庭である「曹源池庭園」も疎石のデザインです。

曹源池庭園

中央の曹源池を巡る池泉回遊式庭園であり、日本で初めて史跡と国特別名勝に指定されました。曹源池の名称は夢窓疎石が池の泥をあげたとき、池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられたそうです。

天龍寺は度重なる火災によりほとんどの建物は再建されたものですが、曹源池庭園だけは焼失せずに約700年間面影を残し続けています。

これぞ日本庭園と感じるほど息をのむ美しさですね。春には桜、秋には紅葉で色づきます!

ピンチを救った夢窓疎石のアイデア!

天龍寺造営当初、ピンチが訪れます。室町幕府は南朝との戦いによって財政的に余裕はなく、造営途中で資金が尽きてしまったからです。

このピンチに夢窓疎石は「途絶えていた中国の元と貿易を再開する」というアイデアを提案し、日本の商品を中国で売ることで利益を得ました。この貿易船は天龍寺船と呼ばれ、天龍寺の造営費だけでなく幕府の財政も補うほどの莫大な利益を上げました。

夢窓疎石のアイデアがなければ、天龍寺はなかったかもしれませんね!

硯石

曹源池庭園

拝むと書画が上達すると伝えられている硯石。法堂の再建の時に守護神として大きな龍の絵を描き、60人余りの僧が墨をすって大筆で一気に勇壮な雲竜図を描き上げたそうです。

そのことから硯石は拝むと書道上達すると言われるようになったそうです。綺麗な文字を書きたい人は拝んでみるべきですね!

平和観音と愛の泉

曹源池庭園

平和を願う平和観音様を一緒にいるのが三匹のカエルの像です。

真ん中のカエルの前にはお椀が置かれ、お金を投げて入ったら、倍になって返ってくるそうです。

営業時間 8時30分 ~ 17時30分
拝観料 500円
駐車場 あり