京都「流れ橋」は時代劇にも登場する一風変わった流れる橋!

詳細マップ知っとこ!

時代劇のロケーションにも登場する八幡市「流れ橋」

流れ橋

突然ですが、この木造の橋を見たことがありますか!?もしかしたら「訪れたことはないけど見たことはある!」って人はたくさんいらっしゃるかもしれません!

京都府八幡市の木津川に架けられた「流れ橋」は 時代劇のロケーション撮影地 としてたびたび登場しており、全長356・5メートルの 日本最大級の木造橋 です。「時代劇で見たよ!」って方が多いのではないのでしょうか。

流れ橋

流れ橋の正式名称は上津屋橋と呼ばれ、木津川が増水した洪水の際に橋を渡る板の部分の「橋桁」が流れてしまうことから 流れ橋 と呼ばれます。

流された回数はなんと 20回以上 も及びます!

流れ橋

流れ橋は歩行者と自転車の専用橋で京都の地元市民にとっては行き来するための大切な橋です。もちろん地元市民以外も渡ることができ、多くの観光客が訪れています!

橋の上は手すりがなく、風がとても強いので少し怖いかもしれません!なんだかタイムスリップしたような気分になります!

流れ橋がこの構造になったのは洪水がきっかけです。

洪水の時に強い流れの水の圧力や流れてきた流出物によって橋が耐え切れず破壊され、下流部への被害もたびたび発生していました。

復旧するには長い時間が必要です。そこで少しでも被害を軽くするために、洪水の時に上部構造体の橋桁が水に浮かんで流れることで橋を支える部分の橋脚だけが残り、被害が最小限に治まるようになったのです。近年では流された橋桁も再利用できるように板にワイヤーロープを括り付けて、洪水の後に回収できるような構造になっています。

しかし、流されると修理で数か月は使えなくなり毎日使う地元市民にとって不便であるため、現在では流れにくい橋の構造になっています。

流れ橋

時代を感じながらこの橋を渡ってみてもいいかもしれませんね。

駐車場 あり

木津川にまつわる戦い!

流れ橋

流れ橋が架かっている木津川は日本神話にも登場する大切な舞台です! 日本神話では第十代崇神天皇が謀反を起こしたタケハニヤスヒコの軍と戦ったのがこの木津川とされています。

木津川は輪韓河や和訶羅河の呼び名で登場します。両軍がこの川を挟んで向かい合って戦いは始まりましたが、決着はすぐ決まりました。

なぜかというと崇神天皇側のヒコクニフクがタケハニヤスヒコを弓矢で射止め、大将が死んだ軍は逃げだしたからです!

逃げ出した軍を追いかけ、切り刻んで死体が溢(はふ)れたのでその地の名が「羽振苑」「波布理曽能(はふりその)」と付けられ、現在の祝園の由来となりました。

またこの戦いで名付けられた現在の地域がもう一つあります。それは大阪の樟葉(くずは)です。

由来は逃げ出した兵士たちが恐怖のあまりに屎(クソ)が褌(ハカマ)が漏れ出し、その地を屎褌(クソバカマ)と呼んだものが転じて樟葉(クズハ)となったそうです。