京都福知山市「御霊神社」は明智光秀を無実として祀っている!?

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御霊神社

『本能寺の変』。日本人なら一度は耳にしたことがある歴史上の出来事ですね。

領土を奪い合う乱世の時代に天下統一目前まで来ていた織田信長が、家臣の明智光秀の謀反によって討たれるという戦国時代最大の事件が本能寺の変です。

しかし、光秀がなぜ信長に対して謀反を起こした理由がはっきりとわかっていないことから、本能寺の変は日本歴史上最大のミステリーとして様々な説がささやかれています。

その説の一つに、「明智光秀冤罪説」があります!その説を後押しするように、京都府福知山市にある「御霊神社」では光秀を慕い、冤罪者として祀っている不思議な神社が存在します!

今回は『明智光秀冤罪説』に迫りながら福知山市「御霊神社」についてご紹介いたしましょう!

明智光秀は冤罪として祀る御霊神社

御霊神社

福知山市の観光地「御霊神社」はもともと五穀豊穣商売繁昌の神として崇められてきた宇賀御霊大神という神様のみを御祭神としてお祀りしていましたが、福知山城主・朽木氏の時代になると明智光秀の霊を合わせ祀ったことから御霊神社と称されるようになったそうです。

「御霊神社」という名の神社は全国に多数存在し、怨みや非業の死を遂げた人間や怨霊を鎮めるために創建されます。福知山市の御霊神社では明智光秀を冤罪で非業の死を遂げた御霊としてお祀りされています。

しかし、なぜ光秀を冤罪者として合わせ祀られることとなったのでしょうか?

明智光秀は織田信長を倒したことから逆臣として歴史に名が刻まれていますね。皆さんも本能寺の変の事件から明智光秀のことを好意的に思わない人も多いでしょう。しかし、光秀は治めていたこの地で堤防を築いたり、免税をするなど善政を行ったため、その土地の多くの人に現在も慕われているそうです!

明智光秀は元々、美濃守護の土岐氏の支族・土岐明智氏の出身でしたが、美濃守護の土岐氏が没落すると諸国を放浪した末に織田信長の家臣となりました。

光秀はメキメキと頭角を現し、異例の出世で重臣にまで登り詰め、丹波を平定した際には信長から丹波国の領主に任命されました。 御霊神社

御霊神社境内には「免税と決めて光秀名を残し」という文字が刻まれた石碑が立っています。
この文字の通り、丹波国を与えられた光秀は内政に力を入れて、民から免税したり、河川の氾濫を防ぐために「明智藪」と呼ばれる堤防などの善政に努めたことから民に慕われている領主だったようです!

光秀といえばアニメやゲームなどで若くてハンサムなイメージでがありますが、実際、信長の家来になった時には40歳を過ぎてたころでした。なので青年というより尊敬されるおじさんという感じだったようですね。

善政に努めた光秀でしたが、ついに本能寺の変で信長を討って天下人になります。しかし、11日後には豊臣秀吉に討たれたことから、光秀の天下は「三日天下」と呼ばれています。

御霊神社

光秀が亡くなって100年後の1705年に明智光秀の霊を合祀して御霊神社と称されるようになります。
なぜ亡くなって100年経ってから光秀の霊が合わせ祀られたのかというと、福知山ではたびたび地震・火災・洪水などの天変地異起こったそうで、「これは冤罪で非業の死を遂げた光秀の霊魂が祟っている」として天変地異を抑えるために合祀されたそうです。

慕われていた光秀はこの地域の人々に無罪として信じられていたようで、実際にも光秀無実説の線も考えられています。もしかしたら本当に冤罪だったのかもしれませんが、いまだに本能寺の変については永遠のミステリーなため、真相は謎のままですね。

逆臣の汚名を着せられた明智光秀を祀る「御霊神社」。ぜひ日本史好きには訪れてほしい観光地です!

駐車場 あり

叶石

御霊神社

御霊神社の境内には叶石という悲願成就の岩があります。

この岩は思兼神と手力男命を悲願成就神として祀り、もともとは子持ち石と呼ばれていたそうです。悲願成就神の霊験あらたかな力をもらうために合格必勝・縁談・災難厄除などの祈願参りをするようになったことから「叶石」と呼ばれるようになったそうです。

もしかすると「叶石」は光秀の無罪を叶える石としての意味合いもあるのかもしれませんね。