まるでスタンドバイミー!「蹴上インクライン」は歩ける線路跡

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蹴上インクライン

京都の歩く線路「蹴上インクライン」を知っていますか?

ここでは普段歩くことのできない線路の上を散歩できます!正確に言うと、この線路は電車のための線路ではなく、船の輸送のために造られたものです。現在は使われなくなり、線路跡が残されました。

この「蹴上インクライン」は1948年まで使用され、京都の近代化を助けました。もし蹴上インクラインがなければ、現在の京都の繁栄はなかったかもしれません。

この蹴上インクラインにはどのような歴史があったのでしょうか!?

衰退した京都を繁栄させた「琵琶湖疏水」計画

京都は平安京が遷都して以来、1000年間以上も首都として栄えてきました。しかし、京都にピンチがやってきます。それが明治維新による東京への首都の遷都です。急に首都でなくなった京都は日に日に経済が衰退しはじめ、人口も減っていきました。花の都といわれた京都もこの時には人々のあこがれの場所ではなくなっていました。

そんな衰退していた京都を昔のような活気ある場所に復興するために行われたのが 「琵琶湖疏水」計画 です。『琵琶湖から京都市内に水路を通して舟で物資の行き来を盛んにして京都を繁栄させよう』という狙いです。

1885年に着工し、1890年に第1疏水、1912年に第2疏水が完成して京都はかつての繁栄を取り戻しました。

蹴上インクラインの誕生

蹴上インクライン

琵琶湖疏水で困難だったのが琵琶湖側の蹴上疎水と京都側の南禅寺疎水の間が急な坂になっているということです。

この急な坂の高低差が36mもあるので、もしそのまま疏水を通して船を運搬すると急な坂なために転覆してしまう可能性がありました。船をここで乗り換え、人や貨物を乗り降りさせることも考えられましたが、時間と労力がかかってしまいます。

そこで『36mの高低差を解消するためにここだけ陸上輸送にして、船ごと台車に載せ、動力によってレール上を上り下りさせて安全に船ごと運んでしまおう』と誕生したのが 「蹴上インクライン」 です。インクラインとは『傾斜鉄道』という意味です。

インクラインはケーブルカーと同じ原理で船を運んで、長さ581.8メートルは世界最長となっています。 蹴上インクラインにより京都の物流は栄えていったのです!

最盛期は13万人の利用者がいましたが、1948年に廃止されてしまいます。その理由は鉄道などの交通機関の発達によって貨物の運搬が船運から変わってしまったからです。

レールも撤去されましたが、1977年に産業遺産として保存するために復元され、1996年には国の史跡に指定されました。

蹴上インクライン

蹴上インクラインには復元された台車と貨物船が残されています。

桜の名所!蹴上インクラインの桜

桜の時期になると、桜の名所として多くの観光客が訪れます!線路跡と満開の桜並木の珍しい組み合わせの中を散歩してみるのも春だけのお楽しみです!

蹴上インクライン

京都の発展を支えた「蹴上インクライン」を歩いてるみるのもいいですね。