赤穂「大石神社」は忠臣蔵・赤穂浪士のふるさと!

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赤穂浪士のふるさと「大石神社」

大石神社

赤穂浪士達が主君の仇として吉良義央を討ち取ったおなじみのお話「忠臣蔵」。

テレビや舞台でも取り上げられる忠臣蔵のふるさとといえば、赤穂市にある「大石神社」です。

大石神社は全国から忠臣蔵を愛してやまない人たちが訪れています。しかし、なぜ赤穂浪士たちがこんなにも人々に慕われているのか。

赤穂浪士達の忠義を知るとより大石神社の魅力に気づくでしょう!

「忠臣蔵」のあらすじとは

大石神社

大石神社に行くとまず迎えてくれるのが左右に建てられた四十七義士の像たちです。四十七義士の像はそれぞれ討ち入り時の格好をして、主君の仇を討ち取った四十七人の赤穂浪士を一人一人見られます。

忠臣蔵とは「仮名手本忠臣蔵」として人形浄瑠璃や歌舞伎で公演され、実際に江戸時代中期に発生した 『赤穂事件』 を基にしたた物語です。

事の発端は、1701年に江戸城で浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に刃傷に及ぶという事件がきっかけです。

浅野内匠頭長矩は将軍徳川綱吉の母が朝廷から贈位がもたらされる大事な日に、刀を抜いて切りつけました。ただえさえ城中で刀を抜くことは許されないのに刃傷まで及び、将軍徳川綱吉は激怒しました。

その結果、浅野内匠頭長矩は切腹、浅野家は取り潰しとなります。一方、切られた吉良上野介義央は命に別状はなく、お咎め無しという判断を下されます。この判決には世間から困惑の空気が流れます。

当時、双方の争い事では「喧嘩両成敗」というその理非を問わず、双方とも同じ罪を問う法律があったので「吉良上野介お咎め無し」は世間から批判の声が上がったのです。

大石神社

赤穂浅野家は赤穂城を没収され藩士たちは浪人となりました。そこで浅野家再興をさせようとしたのが、主役である赤穂藩の家老の大石内蔵助良雄です。

大石内蔵助は浅野家を再興させるために働きますが、家臣達の中には吉良上野介の仇討ちを主張する声が上がりました。

仇討ちをしてしまうと御家再興の望みは消えます。大石内蔵助はお家を再興させるか仇討ちをするかで悩みます。

ついに大石内蔵助は吉良上野介を討つと決め、1702年12月14日の夜、四十七義士が吉良屋敷に討入り、吉良上野介の首を討ち取りました!

見事仇討ちを果たした赤穂浪士たちに世間から称賛の声が上がります。幕府は赤穂浪士達の忠義を称賛しながらも、浪士たちの処分について決めかねます。

結局、幕府は武士の法に従いますが、処刑ではなく武士の最高の名誉である切腹という処分を下しました。

ここまでが「忠臣蔵」のおおまかな内容です。

大石神社

主君のために命を捨てた赤穂浪士達の『忠誠心』が、現在も人々に愛され続けている魅力の一つです!

そんな赤穂浪士47人を祀る神社が「大石神社」なのです!

大石神社

見事主君の仇討ちを果たしたことから大石神社は『大願成就』のご利益があるとされています。

大石神社の見どころ

心響石

大石神社

サヌカイトといわれるこの石をたたくと美しい音を奏でてくれます。心に響く美しい音色からこの名が付いたそうです。

水みくじ

大石神社

おみくじをこの水に浸すと文字が浮き上がります。

一文字流し

大石神社

自分が流したい一文字を用紙に書いて浸すと用紙が消えてなくなります!

赤穂浪士は忠義を貫き、人々の心にいつまでも刻まれています。忠臣蔵のふるさと「大石神社」に訪れてみては。

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