東洋一と呼ばれた「神子畑選鉱場」誕生のカギは一円電車

詳細マップ
神子畑選鉱場

ビル22階建てに相当する高低差75mの「神子畑選鉱場」はかつて 東洋一の選鉱場 と呼ばれた選鉱施設。

現在は操業を終了し閉鎖されていますが、かつての神子畑選鉱場の面影は産業遺産として今も残されています!日本の経済の発展を支えた神子畑選鉱場跡はどのようなところなのでしょうか!?

「不夜城」と呼ばれた選鉱場

兵庫県の養父市には「日本一の錫の鉱山」として栄えた明延鉱山がありました。明延鉱山から産出される鉱石を有用な鉱石とそうでない鉱石に選別する選鉱場所として活躍したのが「神子畑選鉱場」です!

神子畑選鉱場の特徴といえば、ビル22階建てに相当する高低差75mの山の斜面を利用した選鉱方法。上から順にだんだん小さく砕き、重さで選別する「比重選鉱技術」を利用することで効率よい選鉱が行われました。

神子畑選鉱場

これはシックナーと呼ばれ、高低差75mの山の斜面の下にあり、固形物を取り出すろ過装置です。最終的にこのシックナーによって下に流れて回収されなかった微細な鉱石を回収するのです!

「比重選鉱技術」によって規模や産出量が増え、神子畑選鉱場は「東洋一」として規模を誇り、世界から高い評価を集めました!

神子畑選鉱場は24時間稼働し、夜には選鉱場が光る姿から 「不夜城」 と呼ばれ、全盛期には1300人の人々が神子畑地区に住んでいたそうです。

神子畑選鉱場

選鉱された鉱石は各製錬所に運ばれました。この神子畑鋳鉄橋は近くにある生野製錬所に錫を運ぶためにつくられたもので、現在も残っています!

もともとは明延鉱山の選鉱場ではなく鉱山だった!

実は、選鉱場として東洋一と呼ばれた神子畑選鉱場は、もともと鉱山として繁栄していたそうです。

しかし、鉱石の出産量が不安定だった為、繁栄と衰退を繰り返えしていたそうです。1878年に銀鉱脈を発見されたことで翌年から採鉱を本格化させ、生野鉱山の支山として繁栄しました。

神子畑選鉱場

現在、神子畑選鉱場敷地内に建っている「ムーセ旧居」は、当時生野にあった外国人居住の一部移転させたもの。現在、ムーセ旧居は「ムーセハウス写真館」として公開されています。

しかし、鉱山として栄えたものの、明治末には産出量減少に伴って神子畑は衰退していき、1917年に閉山します。

神子畑の復活を支えた「一円電車」

1917年に閉山した頃、明延鉱山では採掘鉱量の増加により、選鉱施設の拡大が必要でした。

そこで目を付けたのが、近くにある閉山した神子畑鉱山です。神子畑鉱山は明延鉱山から運び込まれた鉱石を選鉱する選鉱場として生まれ変わり、東洋一と呼ばれるほど発展していったのです!

神子畑選鉱場

明延鉱山から神子畑選鉱場に鉱石を運ぶために活躍したのが 明延電車、通称一円電車 です!一円電車はトンネル掘って造られ、神子畑の発展に欠かせない存在になりました。

神子畑選鉱場

明延電車は鉱石輸送だけでなく交通の便として乗客を乗せ、乗車賃が一円だったため一円電車と呼ばれ愛されていたそうです!

神子畑選鉱場

2004年解体前

神子畑選鉱場は昭和62年に明延鉱山の閉山に伴い、閉鎖され建物も2004年に解体されました。現在は産業遺産の基礎構造物が残されたままです。

神子畑選鉱場

東洋一とよばれた神子畑選鉱場。その産業遺産は今も自分の目で見ることが出来ます。ぜひ訪れてください!

入場料 見学自由
駐車場 無料数十台あり